はまゆうの会

籠盛のルーツ

 遠州地方(浜松)ではお葬式や初盆のときに、缶詰や飲み物などを詰めた籠を造花(シルク)で飾った「籠盛」で祭壇の周りを華やかに飾る風習があります。
生花(供花)と同じく、故人に捧げるお供え物、遺族に弔慰を表すものとして送られます。

籠盛は地域によっては「盛籠」と呼ばれます。また、籠盛の風習がないところもあります。
このような形でお供えをするようになったのは諸説あり、起源がはっきりしませんが、元々は大分県の風習。
遠州地方(浜松)で見かける形とは異なり、スタンドの上に食品が詰まった箱を造花で飾り、スタンドの脚元には灯籠やランプが置かれます

 昔は一家の主人や担い手が亡くなっても、その家族が立ち直るまでの間、日持ちのする玄米や味噌などの食料を親戚や知人が竹やつるの籠に花を添えて送ったのがルーツとされ、日本各地に広がり、それぞれの形で受け継がれています。
現在では、缶詰や飲み物が多いですが、お米や調味料もセットに含まれていることがありますね。

お供え物としての役目が終わったら、親族やお手伝いをしてくれた方々へ配ることが多いようです。

 

忠犬ハチ公のお葬式

 室内飼いが当たり前で「ペットも家族の一員」とされる今では、「ペット葬」は普通の事になってきました。
外で飼うのが当たり前の昔では非常に珍しいことでしたが、例外的に盛大だったのが忠犬ハチ公のお葬式です。

 ハチは1923年(大正12)年に秋田県で生まれた秋田犬。東京帝国大学農学部の上野栄三郎教授に引き取られ、渋谷に近い松濤で暮らし始めました。毎日、教授の出勤を見送り、ときには渋谷駅まで送り迎えすることもあったそうです。
しかし、教授は1925年(大正14年)に急逝。ハチと暮らしたのはわずか1年だったそうです。

ハチのお葬式

 教授が亡くなり10年が経過した1935年(昭和10年)3月8日未明に渋谷駅東口で息絶えているところを発見。遺体は駅の小荷物室に安置されました。上野博士の妻、植木屋の家族が続々と駆け付け、末期の水があたえられました。毛並みを整えられたりしたそうで、これは湯灌(ゆかん)や死化粧にあたるのかもしれません。渋谷駅舎を使って、人間と同様の葬儀が行われました。

 ハチの死を新聞で知った多くの人々が参列。花環・供花・弔電・手紙、さらには香典も続々と寄せられました。
地元・渋谷の仏教会からは導師(法会・葬儀を主になって行う僧)・伴僧(導師に付き従う僧)、計16名も呼ばれました。こんなにも盛大なお葬式は、高僧の葬儀でも珍しいことのようです。

 ちなみに一周忌はハチ公像の前で行われております。これだけ愛され続けているペットは、他にはいないのではないでしょうか。

お彼岸 彼岸花

<彼岸花の咲く時期>

 墓や田の畔など、常に人の手によって除草が行われている場所にだけ、彼岸花は花を咲かせることができます。
 1.秋から茂り始める葉に太陽光が降り注ぐような場所であること
 2.夏の終わりの頃、一定程度の光が地面に届く場所であること
以上の二点が、彼岸花が花を咲かせる必要条件と考えます

9月20日頃に花を咲かせる植物
 彼岸花が咲く気温は、約20~25度とされています。まさに、お彼岸の頃が適温というわけです。
最低気温が20度前後まで下がってくると、地中の球根から花茎が30cm~50cmまで一気に伸び花を咲かせます。

日差しが強い場所は開花が遅くなる傾向があり、半日影の涼しい場所では開花が早くなるようです



<彼岸花が生き抜くための知恵>

なぜ秋に咲くのか
彼岸花が春に花をつける植物だった場合、その生存競争が厳しい中に身を置くことになります。他の植物が枯れ始める9月に咲くことで、太陽の光を十分に受けることができ沢山子孫を残せるというわけです。

「彼岸花(ヒガンバナ)」は、お彼岸の頃に開花することにちなんだ名前です。

 

<赤色の彼岸花の花言葉>
 情熱・独立・再会・あきらめ・悲しい思い出・想うはあなた一人・また会う日を楽しみに

 <白色の彼岸花の花言葉>
 また会う日を楽しみに・想うはあなた一人

 ※白い彼岸花はけっこう珍しいです。
 黄色のショウキズイセンとヒガンバナとの自然交配でできたもので、繁殖力が弱いので、なかなか増えません

 <彼岸花の毒>
 彼岸花には花・茎・葉・球根、すべての部分に毒があります。誤って食べてしまうと吐き気や下痢を起こし、重症の場合は中枢神経の麻痺を起こして死に至ることも。

葉の汁とか、球根とかカジッたりしたら危ないので、子供やペットには注意が必要です。

 彼岸花が土手や畦道に植えられているのは、モグラやネズミから稲や野菜などの農作物を守るためだと言われています。彼岸花には毒がありますが、特に球根に多く含まれる毒を嫌って、ミミズなどの地中の虫達が近寄らなくなります。

モグラやネズミはミミズなどの虫が餌なので、モグラ、ネズミも餌がないので来なくなるため植えられているそうです。
また墓地で多く見られるのも、モグラやネズミから埋葬された遺体を守るためだという言い伝えもあります。

見るだけでは美しくきれいな彼岸花ですが、くれぐれも毒には気をつけましょう。

夏目漱石のペット達を供養する

夏目漱石のペット達を供養する「猫塚」

 新宿・早稲田南町には夏目漱石の蔵書や関連資料が展示される「漱石山房記念館」があります。元々は明治40年から大正5年、夏目漱石が亡くなるまで過ごした終焉の自宅「漱石山房」。ここで、「三四郎」「こころ」「道草」などの代表作が執筆され、文化人の集まるサロンも開かれていました。
 記念館の隣にはお庭のような小さな「漱石公園」があり、中央には石を積み上げた供養塔「猫塚」が建っています。「吾輩は猫である」のモデルとなった猫の十三回忌を記念して、漱石が飼っていた動物の供養塔として妻の鏡子が建立。戦災で失われましたが、その残欠を再利用して昭和28年に復元されました。供養のための塔であり、モデルの猫は同じ敷地の別の場所で眠っています。

 

吾輩は猫であるのモデルとなった猫

 漱石がまだ作家ではなく、東京帝国大学や明治大学で英語講師をしながらも俳壇で活躍し名声が上がっていた頃のことです。
漱石が37歳の年。自宅に子猫が迷い込んできました。妻の鏡子はあまり猫が好きではありませんでしたので、家に入り込むたびにつまみだしていました。
 しかし、何度つまみ出しても、猫は家の中へ入り込んできます。子猫に気づいた漱石は、鏡子に「置いてやったらいいじゃないか」といい、一緒に暮らすようになりました。

 子猫は一見黒猫に見えますが、よく見ると黒い被毛の中にも虎模様があり、爪の先まで真っ黒。
夏目家に出入りしていた按摩さんから「奥様、この猫は足先まで黒いので珍しい黒猫でございます。飼っていれば家が繁盛いたします」と聞くなり、猫のご飯に鰹節を乗せるなど、大事に扱うようになりました。

 その後、明治38年に処女作「吾輩は猫である」が大ヒット。その後立て続けに作品を発表し、人気作家としての地位を固めていったため、「福猫」に間違いはなさそうですね。

 

猫の埋葬の儀

 猫には名前は無く「猫」と呼ばれていたそうですが、漱石の背中に乗ったり、子供達と遊んだりしながら幸せに天寿を全うしました。「漱石山房」に移って間もない、明治41年9月13日のことでした。
 猫の遺骸は、木箱に入れられ、書斎裏の桜の樹の下に埋葬しました。漱石は白木の角材に「猫の墓」と書き、裏面に一句をしたためました。「この下に稲妻起る宵あらん」これが、猫の墓標となりました。

 墓標の左右にはガラスの瓶を2つ置き、たくさんの萩の花を活けました。以降月命日がくると、鏡子は墓標の前に、鮭の切り身一片と鰹節一椀をお供えしたと伝えられています。

 

猫の死亡通知書

 翌14日、漱石は門弟や友人に向けて、猫の死を悼み、次のような葉書を送りました。
「辱知猫儀久々病気のところ療養相叶わず昨夜いつの間にか裏の物置のヘッツイ(かまど)の上にて逝去致候。埋葬の義は車屋をたのみ箱詰にて裏の庭先にて執行仕候。但主人「三四郎」執筆中につき御会葬には及び申さず候。以上」

 葉書の周囲にはきちんと墨で黒枠がつけられていました。哀悼の想いを込めて、塗り込められたのかもしれません。

 

遠州の初盆文化

遠州の初盆文化「盆義理」

 故人がなくなって初めて迎える最初のお盆を「初盆(新盆)」と言います。
遠州地方は初盆行事を重視し、盛大に行うため、初めて参加された方は、独特の風習にビックリされます。
他の地方とはどこが違うのか、浜松の特色をご紹介します。

 全国的に珍しい盆義理

 一般的に初盆は、親族だけ集まって、執り行われるものです。
遠州ではお盆になると、初盆を迎えるお宅へお葬式に参加されたほとんどの方(親族・友人・町内・会社関係など)が、初盆のお宅へ弔問します。町内で初盆のお宅が多いと、一日に何軒も回ることも珍しいことではありません。

そして、初盆を迎えるお宅は暑い中お越しいただいた方々に、飲み物や礼状を添えたお返しの品物を渡します。これを「盆義理」と言い、おそらく全国でも遠州だけのものでしょう。
 宗教や家庭の事情で「盆義理」を行わないお宅もありますので、遠方の場合は、事前に確認をしてから弔問するとよいでしょう。

 

華やかな初盆祭壇を飾る

 玄関先で迎え提灯を吊るし、迎え火・送り火を焚く。おしょろ様(ご先祖の乗り物とされる、キュウリの馬・ナスの牛)や盆提灯を飾るなどの風習は全国で見られます。
その一方遠州では、それらの風習以外に、華やかな初盆祭壇に供花や籠盛といったお供え物も飾り、故人を迎え入れます。

盆供の不祝儀袋が売られる

 浜松の場合はお盆になると、表書きに「盆供」と書かれた不祝儀袋が、スーパー・コンビニなどで売られます。
遠州の初盆は、葬儀後に再び大勢の人々が集まり、故人を偲ぶ皆様とのご縁を大切にできる時間です。親族のおもてなしや盆義理返しなどで大変になりますが、遠州の初盆文化を守っていきたいですね。