はまゆうの会

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宝石やジュエリーの仕分けについて

お葬式が済んでから片付けを行ってると、ジュリーや宝石など出てくることがあります。そんな時は買取に出したりする場合がほとんどだと思います。思い出のジュエリーや宝石を「処分」ではなく「残す」方法を「はまゆうの会」では生前の終活としてご提案いたします。お持ちになってる宝石などは売るだけでなく、リメイクすることが可能なのです。新しいものを買って差し上げるのも一つの方法かも知れませんが、自分の持っている物をお嬢様やお孫様に使ってもらえる喜びを味わうのも一つの方法だと思います。

今では物が溢れてる時代で新しいものを買い替えることがほとんどです。買い買えたものや新しいものは飽きが来てしまいまた欲しくなるのもですが、大切な人が使用していた物はいつの時代でも大切に残しておきたくなるものです。しかし、自分が大切にしていた物は残されたご遺族によって「整理」されてしまう場合が多いのも現実です。ご自分のお葬式を考える今の次代では、ご自分の大切な物を残す方法を考えるのも大切なことです。

思い出の宝石やジュエリーの仕分けや賢い活用術、御家族様への楽しい伝え方など、専門家のアドバイスを「はまゆうの会」会員様は無料にて受けることが可能です。ぜひ一度ご相談してみてはいかがでしょうか?

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遠州大念仏のいわれ

今からおよそ430年前、時は多くの大名が天下を目指した戦国時代、京に攻めあがる武田信玄の軍勢と後に天下統一を果たす徳川家康の軍勢が激突、これが、かの有名な三方ヶ原の合戦でございます。戦国最強とうたわれた武田の騎馬隊の前に、家康軍は敗北。命からがら浜松城へと敗走いたします。武田の追撃隊は夜も更けてきた為に、浜松城の北に陣をとり、夜が明けるのを待ちます。これに対し家康は「サイガガケ」に布の𣘺を仕掛け、武田軍の背後から夜襲を仕掛けました。慌てた武田軍は人馬ともに次々と「サイガガケ」に落ちてゆき、多くの兵士が命を落としたそうでございます。

それから数年後、この地において農作物の不作や疫病の流行などが起こり、また「サイガガケ」の下からはうめき声が聞こえるなどの話しが広がり、人々は合戦で命を落とした武田軍の祟りだと噂しあいました。

この噂を聞いた宗円(ソウエン)というお坊さんが「サイガガケ」の上に宗円堂(ソウエンドウ)と呼ばれるほこらを建て七日七夜、亡くなった兵士の為に念仏供養を行いました。この時宗円は笛と太鼓、鐘を鳴らして人々に念仏を唱える事を勧めたそうでございます。それからはうめき声も聞こえなくなり、凶作や疫病も無くなったそうです。この供養を知った家康は毎年7月13日~15日まで退転なく、この供養を行うように布告しました。それ以後、地元の人々は宗円堂に集まり念仏供養を盛大に繰り広げるようになりました。

これが遠州大念仏のおこりとされています。

元々、宗教色の強かった大念仏ですが時代の流れとともに大念仏の由来や意味などを伝承する組も少なくなり薄れていきました。そんな中、遠州大念仏保存会が有志の手により組織され、昭和47年には「無形民俗文化財」に指定されました。現在では盆供養に欠かす事の出来ない重要な役割を担っています。昨今では社会環境の変化などで、組のメンバーが集まり練習する事が難しくなってきております。また後継者不足という深刻な悩みを抱えているのも現状です。
どうぞこの場を機会に郷土芸能にふれて伝統を大事にする心を養っていきたいものです。

家族葬とはどんなお葬式ですか?

家族葬とは字のごとくご家族でお葬式を行うことを指す場合が多いようです。しかし、これが家族葬だという表現は難しいですが、大きく二点に分かれると思うので参考にしてみてください。

1.お葬式の儀式は一通り行いますが、会社関係者などの参列者が少なく親戚や兄弟がメインで行う場合

2.ご家族数人でお見送りする場合

1に関しては、葬儀儀式は一通り行うので必要な物はすべてそろえることになります。
〇祭壇(位牌や塔婆・線香など含む)
〇遺影写真
〇棺・ドライアイス・骨壺
〇香典返し
〇引き出物・精進落料理
〇霊柩車・バス
〇お悔み新聞掲載
等になります

では2の場合はどうでしょう
例えば儀式を行わず火葬のみを行う場合は
〇棺・骨壺・霊柩車・ドライアイス等で済んでしまいますが、送り出す側のお気持ちで変わってきます。

お葬式は確かに費用が不当目な部分がありますが、打合せ時に金額面の含めてご相談してみてください。ご予算に応じてお葬式は行うことができます。どのような形式であれ一番大切なのは送り出す側の気持ちになります。
家族葬と言っても色々なパターンがあるので、費用面からやり方まで何でも担当者にお尋ねください。色々なご提案をさせていただきます。

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