はまゆうの会

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お彼岸に咲く彼岸花

<彼岸花の咲く時期>

 墓や田の畔など、常に人の手によって除草が行われている場所にだけ、彼岸花は花を咲かせることができます。
 1.秋から茂り始める葉に太陽光が降り注ぐような場所であること
 2.夏の終わりの頃、一定程度の光が地面に届く場所であること
以上の二点が、彼岸花が花を咲かせる必要条件と考えます

9月20日頃に花を咲かせる植物
 彼岸花が咲く気温は、約20~25度とされています。まさに、お彼岸の頃が適温というわけです。
最低気温が20度前後まで下がってくると、地中の球根から花茎が30cm~50cmまで一気に伸び花を咲かせます。

日差しが強い場所は開花が遅くなる傾向があり、半日影の涼しい場所では開花が早くなるようです



<彼岸花が生き抜くための知恵>

なぜ秋に咲くのか
彼岸花が春に花をつける植物だった場合、その生存競争が厳しい中に身を置くことになります。他の植物が枯れ始める9月に咲くことで、太陽の光を十分に受けることができ沢山子孫を残せるというわけです。

「彼岸花(ヒガンバナ)」は、お彼岸の頃に開花することにちなんだ名前です。

 

<赤色の彼岸花の花言葉>
 情熱・独立・再会・あきらめ・悲しい思い出・想うはあなた一人・また会う日を楽しみに

 <白色の彼岸花の花言葉>
 また会う日を楽しみに・想うはあなた一人

 ※白い彼岸花はけっこう珍しいです。
 黄色のショウキズイセンとヒガンバナとの自然交配でできたもので、繁殖力が弱いので、なかなか増えません

 <彼岸花の毒>
 彼岸花には花・茎・葉・球根、すべての部分に毒があります。誤って食べてしまうと吐き気や下痢を起こし、重症の場合は中枢神経の麻痺を起こして死に至ることも。

葉の汁とか、球根とかカジッたりしたら危ないので、子供やペットには注意が必要です。

 彼岸花が土手や畦道に植えられているのは、モグラやネズミから稲や野菜などの農作物を守るためだと言われています。彼岸花には毒がありますが、特に球根に多く含まれる毒を嫌って、ミミズなどの地中の虫達が近寄らなくなります。

モグラやネズミはミミズなどの虫が餌なので、モグラ、ネズミも餌がないので来なくなるため植えられているそうです。
また墓地で多く見られるのも、モグラやネズミから埋葬された遺体を守るためだという言い伝えもあります。

見るだけでは美しくきれいな彼岸花ですが、くれぐれも毒には気をつけましょう。

夏目漱石のペット達を供養する

夏目漱石のペット達を供養する「猫塚」

 新宿・早稲田南町には夏目漱石の蔵書や関連資料が展示される「漱石山房記念館」があります。元々は明治40年から大正5年、夏目漱石が亡くなるまで過ごした終焉の自宅「漱石山房」。ここで、「三四郎」「こころ」「道草」などの代表作が執筆され、文化人の集まるサロンも開かれていました。
 記念館の隣にはお庭のような小さな「漱石公園」があり、中央には石を積み上げた供養塔「猫塚」が建っています。「吾輩は猫である」のモデルとなった猫の十三回忌を記念して、漱石が飼っていた動物の供養塔として妻の鏡子が建立。戦災で失われましたが、その残欠を再利用して昭和28年に復元されました。供養のための塔であり、モデルの猫は同じ敷地の別の場所で眠っています。

 

吾輩は猫であるのモデルとなった猫

 漱石がまだ作家ではなく、東京帝国大学や明治大学で英語講師をしながらも俳壇で活躍し名声が上がっていた頃のことです。
漱石が37歳の年。自宅に子猫が迷い込んできました。妻の鏡子はあまり猫が好きではありませんでしたので、家に入り込むたびにつまみだしていました。
 しかし、何度つまみ出しても、猫は家の中へ入り込んできます。子猫に気づいた漱石は、鏡子に「置いてやったらいいじゃないか」といい、一緒に暮らすようになりました。

 子猫は一見黒猫に見えますが、よく見ると黒い被毛の中にも虎模様があり、爪の先まで真っ黒。
夏目家に出入りしていた按摩さんから「奥様、この猫は足先まで黒いので珍しい黒猫でございます。飼っていれば家が繁盛いたします」と聞くなり、猫のご飯に鰹節を乗せるなど、大事に扱うようになりました。

 その後、明治38年に処女作「吾輩は猫である」が大ヒット。その後立て続けに作品を発表し、人気作家としての地位を固めていったため、「福猫」に間違いはなさそうですね。

 

猫の埋葬の儀

 猫には名前は無く「猫」と呼ばれていたそうですが、漱石の背中に乗ったり、子供達と遊んだりしながら幸せに天寿を全うしました。「漱石山房」に移って間もない、明治41年9月13日のことでした。
 猫の遺骸は、木箱に入れられ、書斎裏の桜の樹の下に埋葬しました。漱石は白木の角材に「猫の墓」と書き、裏面に一句をしたためました。「この下に稲妻起る宵あらん」これが、猫の墓標となりました。

 墓標の左右にはガラスの瓶を2つ置き、たくさんの萩の花を活けました。以降月命日がくると、鏡子は墓標の前に、鮭の切り身一片と鰹節一椀をお供えしたと伝えられています。

 

猫の死亡通知書

 翌14日、漱石は門弟や友人に向けて、猫の死を悼み、次のような葉書を送りました。
「辱知猫儀久々病気のところ療養相叶わず昨夜いつの間にか裏の物置のヘッツイ(かまど)の上にて逝去致候。埋葬の義は車屋をたのみ箱詰にて裏の庭先にて執行仕候。但主人「三四郎」執筆中につき御会葬には及び申さず候。以上」

 葉書の周囲にはきちんと墨で黒枠がつけられていました。哀悼の想いを込めて、塗り込められたのかもしれません。

 

遠州の初盆文化

遠州の初盆文化「盆義理」

 故人がなくなって初めて迎える最初のお盆を「初盆(新盆)」と言います。
遠州地方は初盆行事を重視し、盛大に行うため、初めて参加された方は、独特の風習にビックリされます。
他の地方とはどこが違うのか、浜松の特色をご紹介します。

 全国的に珍しい盆義理

 一般的に初盆は、親族だけ集まって、執り行われるものです。
遠州ではお盆になると、初盆を迎えるお宅へお葬式に参加されたほとんどの方(親族・友人・町内・会社関係など)が、初盆のお宅へ弔問します。町内で初盆のお宅が多いと、一日に何軒も回ることも珍しいことではありません。

そして、初盆を迎えるお宅は暑い中お越しいただいた方々に、飲み物や礼状を添えたお返しの品物を渡します。これを「盆義理」と言い、おそらく全国でも遠州だけのものでしょう。
 宗教や家庭の事情で「盆義理」を行わないお宅もありますので、遠方の場合は、事前に確認をしてから弔問するとよいでしょう。

 

華やかな初盆祭壇を飾る

 玄関先で迎え提灯を吊るし、迎え火・送り火を焚く。おしょろ様(ご先祖の乗り物とされる、キュウリの馬・ナスの牛)や盆提灯を飾るなどの風習は全国で見られます。
その一方遠州では、それらの風習以外に、華やかな初盆祭壇に供花や籠盛といったお供え物も飾り、故人を迎え入れます。

盆供の不祝儀袋が売られる

 浜松の場合はお盆になると、表書きに「盆供」と書かれた不祝儀袋が、スーパー・コンビニなどで売られます。
遠州の初盆は、葬儀後に再び大勢の人々が集まり、故人を偲ぶ皆様とのご縁を大切にできる時間です。親族のおもてなしや盆義理返しなどで大変になりますが、遠州の初盆文化を守っていきたいですね。

お彼岸の迎え方

 家族が亡くなってから初めてのお彼岸。宗派によって「初彼岸法要」がありますが、初盆のように特別な準備などがあるわけではなく、普段通りでかまえません。とはいえ、初めてのお彼岸は普段より丁寧に迎えていてはいかがでしょうか。

【お仏壇を丁寧に掃除してみましょう】
 お仏壇は湿気に弱いので、彼岸入りまでの晴れた日にお掃除を行います。掃除をする前にまず、お線香をあげて手を合わせ「これからお仏壇の掃除をさせていただきます」と故人やご先祖様にお断りを入れます。
仏具の配置場所を思い出せず困ってしまう方も多いので、配置図などメモをを残すか携帯電話などで写真を撮っておくと安心できます。

 手の届かない仏壇の上の方は毛はたきでほこりを落とし、手が届く場所は仏壇用の筆でほこりを落とします。筆で落ちない場所は、乾いたタイプの化学雑巾で汚れを音落とします。仏壇用のクリームはある程度汚れを落としてから使用しましょう。
金箔が剥がれたり、水が木にしみ込んでカビが発生しやすくなるので、汚れて濡れた雑巾を使用して拭くのは避けてください。

【お墓参りをしましょう】
 暑さ寒さも彼岸までという言葉があるように、秋のお彼岸までには暑さが和らいでいるので、体に無理なくお墓参りとお墓の掃除をすることができます。初彼岸法要を行う場合はフォーマルですが、そうでない場合はお墓の掃除もしますので平服でも構いませんが、派手な服装や軽装は避けた方が良いでしょう。

 お供えはやっぱり「おはぎ」や「ぼたもち」。お店で購入するのも良いですが、ご家族で手作りに挑戦してみてもいいと思います。お参りが終わったら美味しくいただきましょう。お供えをしたものは仏様や神様の力が宿り、その力を取り込むという意味があります。
お供えをお墓に残してしまうと、墓石にシミがついたりカラスなどが食べ散らかしてしまうため、お花以外は必ず持帰りましょう。

 お彼岸はご先祖や故人に思いを馳せることができる貴重な機会です。一年の中でも季節が穏やかな時期ですので、今までお彼岸に参加されたことのない方も、ご家族で心を尽くした供養をしてみてはいかがでしょうか。

【おはぎの作り方】
材料(10個分)
・つぶあん 500g ・もち米 1合 ・米 0.5合 ・塩 小さじ1/4 ・水 240cc

1.もち米、米を合わせて洗い水気をきり1時間ほど浸水させる。ざるに上げて再び水を切り炊飯器の内釜にいれ、塩と水を混ぜ通常の炊飯モードで炊飯する
2.炊き上がったらボウルに入れ、水をつけたすりこぎで荒くつぶし、10等分にして俵型に丸めた餅を作る。手にくっつく場合は水をつけながら作業するとよい。
3.ラップにつぶあんを1/10量ずつ広げてのせ、俵型に丸めた餅をのせて包み形を整える。同様に計10個作る。(こしあんでもOK)

<ひとくちメモ>
 「おはぎ」と「ぼたもち」は同じような和菓子ですが季節のよって呼び名が違います。秋は萩の花のように小さく上品な俵型で「おはぎ」。春は牡丹の花のように丸く大きく「ぼたもち」。
小豆の収穫は秋。収穫したての小豆は皮まで柔らかく食べられるため「おはぎ=粒あん」。春まで保存した小豆は皮が固くなってしまうため、皮を取り除きこしあんとして使用するため「ぼたもち=こしあん」です。 

彼岸花(ひがんばな)

 彼岸花(ひがんばな)はお彼岸を待っていたかのように咲く花です。1本の茎からすっと伸びた先に赤くカールした細い花弁が優雅です。畦道に群生する様子は、燃えるように真っ赤で引き込まれます。
彼岸花の有名なのは童話「ごんぎつね」の里である愛知県半田市。半田川沿い2㎞に渡って市民らが植えた彼岸花が咲き乱れる様子は圧巻です。浜松市でもフラワーパークで彼岸花の群生を鑑賞することが出来ます。

しかし「摘むと死人が出る」「花を家に持ち帰ると火事になる」などと言い伝えられ、花の異名も「死人花」「幽霊花」「地獄花」と怖いものばかり。お彼岸のころ開花することや墓地でみかけることが多いこと、根・花・茎に毒性があるからなのですが、本来は人々のために役立ってきた花なんです。
毒性があるため、古くはネズミやモグラなどに土葬した遺体や稲を荒らされないように植えられてきました。現在も田んぼの畦道や墓地でよく見かけるのはそのためです。「摘むと死人が出る」などの言い伝えは、子供が引き抜いて触ったり食べたりしないための戒めだったのです。また、彼岸花はしっかり毒抜きすることで食べることができ、飢餓や災害・戦争の際の救荒植物として利用されてきました。さらに専門家が精製することで生薬としても利用されています。

彼岸花は別名「曼殊沙華(まんじゅしゃげ)」とも言います。仏典に由来しサンクリット語で「天界の花」。おめでたいことが起こる前に、天から花がひらひらと舞い降りてくる「良いことの前兆」だとされ、それを見たものの悪業を払うとも信じられています。

赤い彼岸花の花言葉もいい意味があり、「情熱」「想うのはあなたひとり」「あきらめ」などがあります。「あきらめ」は負のイメージですが、仏教用語では「真実」「悟り」という意味になります。自分の心と向き合い真実を見つめ明らかにするという、残された人の心を癒す素晴らしい花から不吉ではないと分かりますね。

※彼岸花を食用・民間療法として利用するのは大変危険な行為です。

初盆(盆義理)について

 人が亡くなって初めて迎えるお盆を「初盆」「新盆」といいます。ご先祖様を迎えて供養するものですが、遠州地方は盆行事を重視する土地柄でお葬式に参列された方々の多くがお参りに訪れるほどです。お盆の夕方に初盆のお宅に伺うことを「盆義理」といい、浜松市を含む遠州地方で行われています。

盆義理という風習は全国的にも珍しく遠州地方独特の文化とも言えます。三方原合戦で戦死した武士の霊を弔うために徳川家康が三河の念仏僧を招き、犀ヶ崖(さいががけ)で盛大な踊りを交えた大念仏で供養したのが始まりと言われています。
笛や太鼓、鐘の音を響かせる「遠州大念仏」はその後、遠州各地で盛んに行われるようになりそれぞれの村の初盆の家をめぐる行事へと変化していきました。これを元に多くの人が初盆の家を訪れる風習が根付いたとされています。

 お盆の時期は地域により違います。大きく分けると浜松市中心部から磐田市にかけては7月13日~15日に新盆を、浜松市の北・西・南部が8月13日~15日に旧盆を迎えます。他地方でも山間部に旧盆(8月)が多いので、農作業の時期の兼ね合いから新盆(7月)と旧盆(8月)に分かれたという説が有力の様です。

盆義理は7月13日または8月13日の夕刻から始まります。服装は喪服で出かけ、持ち物はご仏前(お金)で不祝儀ののし袋の表書きは「盆供(ぼんく)」と書くのが一般的です。お盆の時期になるとホームセンター等でも販売されています。
当日はたくさんの人が訪れるため、初盆のご家族との長話は控えた方がいいでしょう。「初盆でお懐かしゅうございます」など、手短にご挨拶をして焼香にとどめるのが礼儀です。

 盆義理は故人を偲び多くの人がお参りに行くという義理人情を重んじた風習です。今後も末永く継承されていくでしょう。

おしょろ様とは

 おしょろ様とは、ご先祖様の乗り物になります。なすと白瓜(きゅうり)などで牛と馬を作ります。
※足はオガラ(麻の茎)、目は小豆・耳は南天の葉・鞍にはいんげんを使います。エサにはそうめんを盛ったものと、ハスや里芋の葉にナスを刻んだものと米を混ぜたものを盛ります。


これらは仏様が一刻も早く帰れるように馬で迎え、牛に荷物を背負わせて送り出すという言い伝えによるものです。(諸説あり)初盆では盆供養の前に行う内施餓鬼の際に親族が用意します。初盆以外の家では牛だけを作り仏壇にお供えします。

【内施餓鬼(うちせがき)】
 お盆の前にお寺さんを呼んで親戚を集め軽いお食事をして、霊を慰める供養のことです。日程についてはお寺さんの都合の良い日を指定してもらうようにします。
尚、施餓鬼とは供養されていない家の周囲にいる餓鬼たちに施しを与えようというものです。

【寺施餓鬼(てらせがき)】
 13日~15日の間お寺の初盆の家を始めとする檀家が一同に集まり、お寺全体で施餓鬼を行うというものです。
この際に、内施餓鬼で用意した袋米を持ってくるところもあるようです。日時についてはお寺から通知があります。

【袋米(ふくろまい)】
 仏様が女性の場合は長方形のさらしを三角形に、男性の場合は長方形に縫います。それぞれ1升のお米を入れます。
仏様が子供の場合は倍の2升のお米を入れます。
袋米は親戚の方が用意するので、お施主様は基本用意をしなくても大丈夫です。

【迎え火(むかえび)】
 13日の夕方に玄関の前でオガラ(松の木)を焚きます。オガラの煙にのってご先祖様の霊が家に戻ってこられると信じられています。昔のやり方通りお墓の前で焚き、家まで火を継いで導きながら迎え火をするところもあります。尚、迎え火は家族だけで行います。
 この日から15日までの3日間がお盆の期間とされています。遠州地方ではこの間に「遠州大念仏」が行われます。

【送り火(おくりび)】
 15日の夕方に親戚や隣人が集まり軽い食事をした後に送り火を行います。家にお迎えした仏様を今度は送り出してあげなければ なりません。迎え火と同様にオガラ(松の木)を焚いて仏様を送り出します。
家の近くの角まで焚き継いでいくところもあるようです。この際には1本は竹・1本は木の箸で挟み合って継いでい行きます。そして初盆に用いたおしょろ様をまとめてお寺さんに納めます。

おしょろ様の供養先については⇒「こちら」

宮型霊柩車

 かつて日本は「野辺の送り」で葬列を組み、お神輿のような形の「輿(こし)」に棺をおさめ男たちが担いで大切に運びました。自動車が普及すると、ご遺体を運ぶ役目が輿から自動車に変わりました。当初は「ご遺体を車の積み荷にするなんて・・・」と抵抗があったようですが、せめて弔いの気持ちを示したいという事からご遺体を大切に運ぶ「輿(こし)」を車に乗せることで、「宮型霊柩車」が登場しました。

しかし、現在では時代の変化で宮型霊柩車の需要が減少し、輿のない洋型やミニバンタイプの霊柩車が増えてきました。宮型霊柩車が無くなってしまうと心配もありますが、実はモンゴルではこの宮型霊柩車が大人気だそうです。

 きっかけは日本で活躍していたモンゴル人力士が帰国したときに、現地の僧侶に「日本には寺の形をした車がある」と紹介したことからでした。その後2003年に日本の葬儀社が寺院に訪れた際、僧侶から「あの宮殿のような車を譲ってほしい」と懇願されて寄贈したのが始まりとなったそうです。

モンゴルでは亡くなった方を盛大に弔う習慣なので、豪華絢爛な装飾が施された宮型霊柩車はまさにうってつけでした。お葬式で使用する為の予約は常にいっぱいだそうです。
また、モンゴルでは社会主義政権時代に仏教が迫害され多くの寺院が破壊されました。仏教復興のために宮型霊柩車は、「走るお寺」として信仰のよりどころになると僧侶たちの支持を集め、仏教のイメージアップにも寄与しているそうです。

エンディングノート

 高齢者が人生における万一のことに備えて、自身の希望を書き留めるノートが「エンディングノート」です。
「エンディングノート」とは、病気で判断力や意思表示の能力を過失したり、事故などで突然の死を迎えたりする前に、延命治療を望むか望まないかなどの治療方法についての希望、葬儀(葬式)のやり方、財産や貴重品についての情報、相続についての考えなどを書き残しておく覚書です。
遺言と異なり法的効力を有する文書ではありませんが、いざという時の為にご家族の負担を減らすことを目的としています。

 映画「エンディングノート」(砂田麻美監督)が公開され、日本製ドキュメンタリー映画で初めて興行収入1億円を突破しました。それだけ人生の最終章を迎えるにあたりご自身の思いや希望を、ご家族に確実に伝える手段として考えてる方が多いという事だと思います。

 

枕飾り

日本古来の伝統的な葬送(葬式)習慣の一つに「枕飾り」と呼ばれてるものがあります。枕飾り(まくらかざり)とは亡くなった方をご自宅(式場)に安置した際に、故人の枕元に飾る台のことをいいます。地域や宗派(宗教)によって様々です。
仏式の場合は白木の台に白い布をかぶせて(現在は塗装されてるものが多いです)三具足(みつぐそく)の他に、鈴(りん)・枕飯(まくらめし)・枕団子・水向けを飾ります。

※三具足⇒香炉・花瓶(一輪挿し)・燭台(ローソク台)
※枕飯⇒山盛りにしたご飯にお箸を立てたもの(お箸を立てずに一膳飯で行う宗派もあります)
※枕団子⇒お皿などに半紙を敷きその上に盛った白いお団子
※水向け⇒香花の葉っぱなど浮かばせた器
※一輪挿し⇒香花や菊を立てた花瓶

枕飯や枕団子は旅立ちの食料とされてますが、死出の旅を説かない宗派では用いられないこともあります。

神式の場合には白木ででできた八脚の台(八足はっそく)または白い布をかぶせた台に、燭台・米・水・塩・酒を三宝(さんぽう)にのせ、榊を生けた花瓶をお祀りします。

宗教によって違いはあるものの、故人に対して思う気持ちは昔から同じだと言えます。ご自分の檀家のご住職や神主さんに色々と質問されてはいかがでしょうか。